小説
『あなたのそばにも運命の神』
運命の神 T
私はある男の運命を作っている最中である。
いつもは心躍るような作業なのだが、時間に追われている今、私は素直に楽しめないでいる。
私が男の運命を作ることには、何の制約もない。誰に指示を与えられるわけでもないし、本人から要望があるわけでもない。
なぜなら私は今、絶対的な運命の神、なのだから。
さて、どんな物語を創ろうか。
心が晴れ渡る美しい話、悲壮に酔いしれる哀しい話、それとも激昂に我を忘れる話。
……そうだ、今回はこんな話にしよう。運命を知る男の話だ。
男は生まれた瞬間から、死の運命を言い渡されている。そして、できることならその運命から逃れたいと、変えたいと思う。
しかし――
* * * * *
運命の筋書き 時系列順
聖地を目指し、旅をしている男
(それまでの旅の詳細不要のため割愛、回想で雰囲気だけ伝える)
男は二十歳までに死ぬという予言を受けている
約束の時は目前まで迫ってきている
男は運命を信じ、水を恐れている
(以下三つ暫定的、水に関わったエピソードならば何でも可)
湖のそばでクマに襲われる
大雨の中、山中にて土砂崩れに巻き込まれそうになる
戦で滅んだ町の毒が投げ込まれた井戸の水を飲む寸前で止められる
(以下が死ぬ日の予定)
昼、川で盗賊に襲われる
気絶
夕方、目を覚まし聖地へ急ぐ
あとはもうすぐで聖地に到着、というところまでやってくる
必死で階段を駆け上がる男(時間との戦いという感じで)
しかし二十歳になるその瞬間、運命をなぞる形で死亡する
(運命を変えることはなしの方向で!! 変更は暫定部分のみ可)
END
* * * * *
運命を知る男の話
「生きている……私は生きているのか」
私は運命に勝った。勝ったのだ。
転んだ拍子に左胸のポケットから転げ落ちた懐中時計がそう告げている。昼間に川辺で時間を確認したときが最後で、そのときは十二時を少し回ったところだった。
空には三日月、輝く星。
現在、時計の針は二十四時を五分ほど過ぎたところ、つまり私が死ぬはずだった昨日が過ぎ去ったことを文字通り、指して示している。私は二十歳になったのだ。
私はゆっくりと時計を拾い、左胸のポケットに入れた。
もう何から逃げる必要もない。何を恐れる必要もない。
いまだに息ができていることに興奮を覚える私を、巡礼の旅人達が遠巻きに見つめ、通り過ぎていく。
目の前の山頂まで続く長い長い階段を上り、聖地の中心で神に祈りをささげよう。生きていることへの感謝と、神の決定した運命に反した謝罪の懺悔を。
山頂にたどり着くまでに、これまでの私を振り返ってみたい。
あなたは運命の女神の話をご存知だろうか。子供が生まれた家に人知れず光臨し、その子供の寿命と死に方を決定する神のことである。たいていの場合数人でやってくるのだという。
母は私を産み落とした夜。朦朧とする意識の中、その女神達の囁きを耳にした。
運命の女神は子供が生まれた家には必ず現れるが、その声を聞くことができるのはごく限られた人間だけだ。
聞いた話では、母が生まれるときも、祖母が女神のお告げを聞いており、私の母は八十歳まで生きるという運命を授かっている。
母方の血筋は、聞こえる家系なのかもしれない。
母は言っていた。
眠っていると、若い女たちのひそひそ話が聞こえてきた。
この時点で声の正体を感じ取った母は息を殺して、私に下される運命を待った。
「センレイ マエニ ミズニ シヌ」
唐突にそう聞こえたかと思うと、気配は消えうせた。
女神の言葉はとてもわかりやすいものだった。
洗礼というのは私達の国の人が、二十歳を迎えたその日に、聖地で受ける祝福のことだ。つまり私は二十歳までに死ぬ運命を与えられてしまったのだ。洗礼前ということは、直後かもしれないし、明日かもしれない。
そして後半がどのように死ぬかである。
当然、両親は私に水から遠ざかった生活を強制した。なにしろいつ死亡するかよくわからないのだから。
私は一年前、すなわち十九歳になるまで自分の運命を知らされていなかった。私の命を守ろうとしてくれていたのだから、今は感謝しているが、当時の私の心は荒んだ。
例えば夏場、川へ水遊びに出かける友人に対し、手を振ることしかできなかったのだ。
それでも一度だけ、言いつけを破って川へ泳ぎに行き、案の定私は溺れて死にかけた。そして助け出された私は、両親によってもう一度死を見るのである。
さて、私が十九歳になったとき両親は私に与えられた運命を話した、と言った。そのときのことは今でも記憶の中で色褪せはしない。
私達の国の人間は二十歳になる日が、聖地にたどり着く日、となるよう旅に出る。旅とはすなわち巡礼のことで、決められた順路をまわり、最後は聖地へと到着するルートのことである。この旅には半年ほどを要する。
旅にはもう少し決まりごとがあって、聖地へは一人で旅をする。洗礼を受ける前の修行も兼ねているのだ。
洗礼の旅とは、それはもう神聖な行為で、その旅を行っている者もまた神聖視される。
だから見知らぬ土地で宿に困ることもないし、飢えに苦しむこともない。教徒の人はだれもが優しく親切にしてくれるからだ。
その様なわけでこの旅は若者達の通過儀礼であるとともに、人生における楽しみの一つでもあるのだ。
私も例に漏れず洗礼の旅が、幼いころから憧れだった。
親にとっても子供がこの旅に出ることは誇りである。
しかし我が家は状況が違った。両親は私に運命を教えると、続けて旅に出るな、と厳しい声で言った。
考えれば当たり前のことかもしれない。なぜなら私は二十歳になることなく死んでしまう運命を持っているのだから。旅に出れば死に目には会うことができない。
だが私の考えは違った。親不孝ではあるが、ただ狭い村の中で死を待つだけの生活はしたくなかった。
この足でまだ見ぬ土地を踏みしめ、異郷の地の風を全身に浴び、食べたことのない料理を味わい、新しい感動の中で死にたかった。
それに私は予言を心から信じることができないでいた。罰当たりかもしれないが、運命は変えることができると信じていた。すくなくとも幼い時分に読み漁った物語の勇者たちは運命に打ち勝っていた。まあ、そう考えることで自分を救おうとしていたのかもしれないが。
だが事実、運命は変わった。運命は変えることができるのだ。
階段は果てしなく長い。あまりの急角度のせいで階段しか見えず、上りつめたそこがどうなっているかまるでわからない。さっきから、本当に、終わりが、見えてこない。
だが今の私には喜ばしいことである。終わりがこない、なんと素晴らしいことだろうか。
この旅の中で私は何度も死を覚悟した。野生の熊に襲われそうになったこと、あわや土砂崩れに巻き込まれそうになったこと、毒水を飲んでしまいそうになったこともあった。驚くべきことにその全てに水が関わっていたことだ。
やはり私は――そう、考えざるを得なかった。
死の息遣いを耳元に感じるとき、私はいつも運命に怯えた。しかし私はその全てを回避して今、旅の終わりを目指している。
今日の昼は川で水を汲んでいるところを男に襲われた。男は無駄のない動作で私の間合いに入ると、迷いもなく剣を振りかざしてきた。私は身を捻るも左胸に一太刀を受け、昏倒した。
ああ、あとちょっとだったのになと思った。
意識を取り戻してみると日は傾き、すぐそこに夜が、そして終わりが近づいていた。
不思議なことに左胸には打撲痕があるだけだった。あの男はもうどこを探してもいなかった。
が、ほっと息をついたのもつかの間、持っていた金や貴重品が忽然と姿を消していた。でも私は生きているだけで儲けものと笑った。
ここまできたら洗礼を受けて死にたかった。いや、まだあきらめていたなっかんだと思う。洗礼を受ければ運命が変わるような気がしていた。
唯一ふところに残されていた懐中時計で時刻を確認し、私は走り出した。
それから後のことはあまり良く覚えていない。とにかく私は走った。
階段の下までたどり着いたのは、二十歳になった後のことだった。
階段はやっと中間地点というところだろうか、深夜だというのに私のほかにも石段を上る者は絶えない。皆、洗礼を受けにやってきた若者に違いない。
私はすぐ前を行く、細身の男に話しかけた。
「失礼、あなたも洗礼を受けにやってこられたのですか?」
彼は興奮した調子で言った。
「うんそうだよ! 君もかい? やっとという感じだね。 ここまで本当に長かったよねぇ」
彼は私の横にやってくると人懐っこい笑みを浮かべた。細まった目に、狐を髣髴させられる。
「でも、洗礼の旅ってだけでみんなが僕を拝んで親切にしてくれるのは爽快だったなぁ。
おいしいものもお腹いっぱい食べられたし、あと一年くらい旅を続けたい気もするなぁ」
彼はずいぶんとお気楽な旅だったのだろう。羨ましい限りである。
彼はポケットに腕を突っ込むとごそごそと時計を取り出した。
「君はもう二十歳になったのかい?」
「おかげさまで階段にたどり着いたときには、もうなっていたみたいです」
彼は声のトーンを落とした。
「なんだ、僕の方が年下なのかぁ。と言ってもあと五分で僕もなるんだけどね。僕は二十四時ちょうどに生まれたんだよ」
「それは奇遇です。私もまったく同じ時刻に生まれた。同じ日の同じ時刻に生まれた人と会えるだなんて――」
嫌な感じがした。砂を噛みしめたようなジャリっとする違和感に背筋が寒くなった。
「今、一体、何時だと?」
喉の奥からは、やっとそれだけの言葉が出てきた。
彼は二十三時五十五分、あっ五十六分になった、と嬉々として口にした。
私は胸ポケットの時計を急いで取り出した。
「ば、かな」
秒針は時を刻むことを放棄していた。二十四時を少し回ったところから動こうとしない。
私は昼間の出来事を思い出していた。刃を止めたのは、この、懐中時計、だったのだ。金品を奪った男が、なぜこの時計だけを持ち出さなかったのか、やっと理解できた。
――金にならないからだ。
ということは、この時計は二十四時を回ったところで停止しているのではない。正午過ぎすでに活動を停止していたのだ。
月明かりが薄く照らす石段が、急に暗さを増したような気がした。
ふと横に目をやると、私の隣で皮袋を逆さにし、水を飲んでいる者がいた。
「うわあぁああぁあああ、水を近づけるなぁあぁあ!!」
考えるより先に足は動き出していた。
私はまだ十九歳だったのだ、それは同時に死の予言は続いていることを意味する。
恐怖がぶり返した。一度生を喜んでしまった私は、もう死を甘んじて受け入れることはできない。
私は闇雲に階段を疾走した。人を押しのけ、なりふり構わず直進した。
洗礼を、洗礼さえ受ければ、私は、死なない、死にはしない、生きてい――
下のほうで「あっ」と息を呑む声が聞こえた。
水はどこにもないはず、なのに。
あれ、おかしいな――
どれくらい時間が経ったのだろうか。
私の周りには何人かの人が集まっているようだ。
あたりは暗いままなので、ほんの少しの時間しか経っていないのかもしれない。
私は仰向けに倒れており、天を仰いでいた。あれほど輝いていた月も星も見えなくなっている。雲が夜空を覆ってしまったのだろうか。
立ち上がろうとするも、体がまったく言うことを聞かない。まるで身体がなくなり、目玉だけ浮かんで、空を見ているような気になる。
「どうしたんだ、この人、いきなり走り出したかと思えば転がり落ちてきて……」
「これは、もう助からないな。骨とかぐちゃぐちゃだぜ」
「うわっ、僕、血が……だめなんだ。それ、にしてもこの人。長い旅してきて、洗礼、前に、見ずに、死ぬ、なんて……うっ」
「おい、ここでもどすんじゃねぇそ! 聖地だぜ、ここはっ」
私は、ぼんやりとしていた。
私を目の当たりにして気分を害してしまった彼の、絶え絶えに絞り出した声が妙に耳についた。
洗礼、前に、見ずに、死ぬ。
せんれい まえに みずに しぬ?
「センレイ マエニ ミズニ シヌ」
あれ、なぜか、どこかで、何度も何度も聞いたことがあるような気がする。どこだっただろう。
まあ、どうでもいいか。
あぁ、やっと落ち着くことができた。
私は運命を変えることはできなかった。
だが、なんだろうこの開放感は、心からの安堵は。これで本当にもう、何から逃げる必要もない。何を恐れる必要もない。
逝ってしまう前に聖地をこの目に焼き付けたかったが、その想いは叶いそうもない。両親や友人と死に目に会えないことも実に残念だ。
だが、旅に出たことを悔やんではいない。むしろ良かったと思う。
私は十九年間、なんとなく生きていた。命があることなど当然すぎて忘れていた。
死の宣告を受けてから今日までの一年は死の恐怖と隣りあわせではあったが、実に有意義であった。生きていたと胸を張って誇れる一年だった。
後悔は山のようにある、やりたいことがたくさん残っているのだから当然だ。しかし完全ではないが、なかなかの人生だったなと、笑って逝けそうだ。
最後の一年、私は死を意識することで、誰より生を楽しむことができた。
それはとてもとても貴重なことで、運命を知らなければたどり着かなかったルート。
生の期限が決まっていて、それを知っているなんて、どこまで不幸なのだと、嘆いた。でも今の私なら言える。
「……意外と、幸せ、だった、な」
END
* * * * *
運命の神 U
首を捻ると骨が鈍い音で呻いた。
ようやく物語の軸部分を考え終わった。
軸――いわば運命の筋書きといったところだろうか。
ただしことが起こった順番に書き並べただけなので、プロットを作る段階では時系列を崩して並び替えなければ。
例えば、男が過去を回想する形で話を進めれば書き易いだろう。
男にはどのような最後を用意しようか。
勘違いを知り絶望のままの死もいいし、全てを許容させても、またいいだろう。
まあ、あとで考えるとしよう。
さて、今回の話の主人公は運命を変えられない。それは運命の神である私が、運命を変える筋書きを用意しない。
私は運命の神である。
運命、筋書き、物語、ストーリー。それを作り出すことは世界を想像し、主人公の人生を決定すること。
つまり物語を創造するとき、書き手は運命の神なのだ。だから今、私は運命の神なのである。
あなたは物語を作るだろうか。だとすればあなたもその世界において運命の神だ。あなたの知り合いで物語を作る人、その人物もまた運命の神なのだ。
そう、運命の神はどこにでもいる。あなたがそうかもしれないし、あなたの隣の人もそうかもしれない。
もう一度首を捻ると、今度もまた骨が鳴いた。
少し無理をしすぎたかもしれない。私は文章を保存して、一旦休憩することにした。
運命を司る神から人間に戻り、気分転換に散歩にでも出かけよう。