『死の運び屋』


 嵐が去った次の日に、潮風漂う町の子供は、慌てふためきいいました。
「浜辺にたくさんのものが流れ着いている」と。
 大人たちも血相変えて聞きました。
「そいつはどんな、ものだった?」と。
 子供は息巻きいいました。
「船の残骸、それに人」と。
 大人たちはどよめいて、そして誰かがいいました。
「海に行くしかないだろう」と。
 けれどだれもが、内心嫌でした。できるだけ厄介ごとには関わりたくなかったのです。そのとき勇気ある青年がいいました。
「僕が浜辺に行って様子を見てきます」と。
 それに応えて、一人の大人が意を決し、口を開いて吼えました。
「そうだ、我々も行こう!」と。
 しかし、青年はいいました。
「いえ、まず僕一人に行かせてください。なにがいるかわかりませんから……どんな形であれ、犠牲はもうたくさんですから」と。
 反論の声は上がりません。大人は黙って俯きました。
 鎧に身を包み、剣を腰に帯びた青年は浜辺を目指して歩きます。嵐が去った次の日なのに、空は暗く沈んでいます。


  *   *   *   *   *   *   *


 影が迫る。暗い空から注ぐ光が、薄く巨大な影を作ってる。影の持ち主は青年。抜き身の剣を持ち、だけどそれよりもっとギラギラした眼で、私を探してる。逃げても逃げても追ってくる。私の足では、悔しいけど逃げ切れない。
 ここは海岸。細かい白砂で満ちた浜辺。残念ながら景観を、潮の香りを楽しみ余裕はない。目に入るのは黒の影、漂うのは血と汗の混じった、ねっとりした死の臭い。
 私は息を殺し潜んでる。浜辺に転がる大量の木片。その下に隠れる以外に私が生き残る道なんてありはしない。
 へし折れたのか、ねじ切れたか。それともぶち砕けたのか。木々の切断面はぎざぎざで水を含んで、光ってる。
 昨日の夜まで、これらは一つの形を作ってた。私たちを乗せて波間に浮かんでいた。そうして私はこの島に帰ってきた。
 けれど故郷を懐かしむ暇なんてありはしない。耳に届く、荒々しく砂を踏み分ける音。規則性のない死の狂想曲が教えてくれている。

 ほんの少し前まで、ぼうっと青い海を眺めていた。生き残ったことに呆けていた。
 だって私が乗っていた船は嵐に飲み込まれ、船は暴風の歯で咀嚼されて粉々になった。マストが倒れ、船がギシギシと悲鳴を上げ始めたとき私は恐怖した。
 でも結局、私は生きていた。目を覚ましたとき、焼けた砂の上で息をしていた。
 しばらくして、鎧に身を包んだ男が現れた。
 彼は浜辺の惨状に目を奪われた。始めは大量の木の破片に、それから無造作に転がる人、人、人に。ひどく現実味に欠け、真っ白いそれらは放り出された人形のように見える。
 不意に彼は私を視界に捉えた。魂の抜けた眼は瞬間、親の仇でも見つけたかのように爛々と輝いた。彼は、ゆっくりとした動作で剣を抜いた。

 誓って言える。私は人に怨まれるようなことはしていない。きっと、おそらく、たぶん、絶対。仇などとんでもない。私に人は殺せない。
 殺される理由が解らない。私が生きていたら都合が悪いことがあるのかもしれない。でも私だってわけもわからないうちは殺されたくはない。
 近くで、足音が止まった。私は気配を消す。息など、とっくに止めてる。

 私が隠れた木材に衝撃が走った。
 それを合図に、私は影から転がり出た。窮鼠猫を噛むなんてことわざは嘘に違いない。実際は逃げる以外の選択しなんて見えない。
 いくら力を込めて走っても、細かな砂は逃げる意思を食べて、飲み込んでしまう。
 それでも私は走った。ねじ切れた甲板の一部をくぐり、血の気がなく、ぐにゃりとした男を踏みつけ、積み荷だった葡萄酒の樽の脇を通りぬけ――

 ドスッ!!

 地面に剣が突き立てられた。場所は、私の数センチとなり、目と鼻の先。私の真っ黒い毛が何本か切れて、風に踊る。
 振り返った頭上には、無感情な青年の顔。
 この人は私を殺す。ためらいなく殺す。どうして殺せるの。なぜ殺すの。せめて理由を、理由をおしえ――

「お前らがいなければ、お前らさえいなければ、町の人たちは笑顔で暮らせたんだ。今も笑っていたはずなんだ」

 なんのことだろう。よく、わからない。
 そういえば、あの子は生きてるんだろうか。船で会ったあの子は無事なんだろうか。……最後に、生きているか確かめたかった。


 ザシュッ!!


  *   *   *   *   *   *   *


 あなた……震えてるの? だいじょうぶ。こっちおいで? そんな隅っこにいないでさ。私と一緒にくっ付いてれば怖くないから。
 おかーさんやおとーさんは? いないの? ……ごめん馴れ馴れしかったかな。ちょっと……いろいろ、あってさ。無理やりにでも笑いたい気分なの。あなた、死ぬの、怖いの? 私は…どうなんだろ。でもそんなこと考えるのは無駄なんだ、私。だって死ねないから。
 疑ってる? 本当、なにがあっても死なないの。でも不死身ってわけじゃないのよ? 剣で衝かれれば、やっぱり死ぬと思う。
 でも、例えば……剣を持った人に追いかけられて、もう絶体絶命って状態に陥っても。たぶん死なないと思うの。なんだかんだで刺されないと思うのよ。
 自信があるの。どうしようもなく死ぬ気がしない。
 理由を、話してみてもいいかな? この船が嵐を抜けるまでの間には終わるはずだから。 
 勝手に続けるから、あなたはそこにいてくれるだけでいいわ。

 私はこの船が出港したダールトン岬から、西にずっといった場所にある小さな町に住んでた。言い方を替えると、水の都「エイチス」から見て北の山の中ってことになるかな。
 これといって何にもない場所でね。でも自然はたくさんあったかな。大きな森があって、それに頼って私たちは生きてた。ううん、生かされてた。
 町で私が一番好きだったのは風見鶏。町のシンボルみたいなものだったのかなぁ。父が大工でね。町にある家の屋根には必ず風見鶏が羽を広げてた。全部父の作品だったのよ。することがない日は風見鶏がくるくる回るのを見て過ごしたわ。なんだか飽きなかったのよ。だけど今はもう、くるくる繰り返すのは、ごめんだわ。
 町にはね、ルールがあった。五年に一度、森の神様にイケニエを差し出すって習慣が。実は二十歳のとき、私は死ぬはずだったの。だってそのときのイケニエが私だったんだもの。でも私は生きてる。そして今、嵐の船に揺られてる。
 私の父はね、母がなくなってから男手一つで私を育ててくれた。父は言った、行きなさいって、生きなさいって。私はイケニエになること、割りと諦めてたんだけどね。父は計画を立てたわ。私を逃がすための計画を。

 当日、私はイケニエの祭壇にいた。すごく寒くて、怖かった。今のあなたみたいに縮こまって震えてたわ。
 父の計画は私をイケニエとして祭壇に安置。夜になってから人目を盗んで私を助け出し、お金とか必要なものを持たせて逃がす。私は隣の町まで落ち延びてそこで父を待つ。完璧だったわ。事前に逃げてもきっとつかまるだろうし、イケニエに出してからいなくなったとしても、イケニエとしていなくなったか、逃げ出したのか。区別なんてつかないでしょ? 
 暗い箱の中で何かが近づいてくる気配を感じた。どきりとしたわ。まさか本当に、山の神が来たのかと思った。もうだめだって諦めかけた。でも蓋を開けたのは笑顔の父だったわ。気がついたら私は泣いてた。
 必要なものは父が持ってきてくれてた。父は一度私を抱きしめると、すぐに町に戻っていったわ。町から抜け出したことがバレたら大変なことになるもの。
 しばらくの間、安堵で体が動かなかった。助かったと思い込んでいたわ。急いで逃げなくてもいいと思った。山の神様っていまいちピンと来なかったの。見たことがある人はいなかったしね。でも数日後には供えたものは消えてることは確かだった。

 そのときだった、遠いところから地面を叩く低い音が響いてきた。それは真っ直ぐに私のほうへ近づいてきた。
 一体正体はなんだったと思う? それはね……山賊だったの。彼らは知ってたのよ。お供え物とイケニエのことをね。だから毎回こっそりと頂戴してたってわけ。彼らは父を追いかけたわ。父が走り去ったのは自分達が見られたからだって思い込んだみたい。
 しばらくして戻ってきた山賊は、父を気絶させただけだって言ってた。下手に殺すとややこしいことになるって判断したみたい。当然よね。イケニエを差し出した男が山の神に殺されるなんて辻褄が合わないもの。
 そして私は連れて行かれた。
 どうなるのか不安で仕方なかったけど彼らは私を人買いに売ったわ。それで私はすぐに買い手がついて船に乗せられた。
 そしたら船が嵐で難破。気がついたらよくわからない土地。生き残ったのは私一人みたいだった。ほかに流れ着いたのは死体と船の残骸とゴミばかり。まとめてごみって言っても間違いじゃないわ。そのときからもう始まってたのよ、呪いは。
 私はね、その後見知らぬ地で死ぬ気で働いて故郷に帰ってきたのよ。今、故郷から、また帰るところ。
 私が故郷に帰ったのは父が気になったから。元気にしているのか知りたかった。山賊は殺してないって言ってたけど、定かじゃなかった。確かめたかったの。

 でも…帰らなければ良かった。
 町なんてね、どこにもなかったのよ。全部砂に沈んでたわ。地面から突き出た風見鶏だけが、カラカラ回ってた。
 私は悟ったの。山の神様は私が逃げ出そうとしたことを、とても怒ったんだって。それまでのイケニエもたぶん山賊に連れて行かれたんだと思う。
 でも私は違った。だって私は逃げおおせるつもりだったもの。山の神様は悲しかったんじゃないかな。山賊に荒らされるのとはわけが違う、身内に裏切られたんだもの。
 これはきっと天罰なのよ。私は死ぬことができない。ずっとこの先も業を背負って生きていかなきゃならないのよ。だからっ……だから今回も死なない。絶対に死ねないはず。
 いつだって私一人が生き残ってきた。そのたび荷物は重くなっていった。私を苦しめてるのよ。だって死んだほうが楽じゃない。そしたら苦しまずに済むもの。でも自殺しても無駄って、わかってる。私、無駄なことはしない主義なの。
 あなた、慰めてくれるの? …ありがとう。少しだけ、元気が出てきたわ。だからね、私と一緒にいれば死ぬことはない。私って生きたお守りなんだから。
 一つお願いがあるの、もし、この先なにがあっても、あなたに生きてほしい。私しか生き残らない呪いを断ち切ってほしい。そしたら、この悪夢みたいな人生、終わらせられるかもしれないでしょ。絶対の呪いを綻びさせることができれば。
 …なんだか、甲板が騒がしいみたいね。いったいどうっ――

 ズズンッ!!

 きゃっ……なに? マストが、折れたの、まさか。 
 あははっ……大丈夫よ。私と一緒なら死なないわ。水が……流れ込んできた。ほら、もっとこっちに来て。あなた真っ黒の毛、綺麗だね。私と同じ。
 ……絶対に、あなたを死なせはしないから。あ、そういえばまだ言ってなかったね。私の名前。私はニーシャ。あなたはなんて呼ぼうかな――


  *   *   *   *   *   *   *


「うっ……ここは?」
 女の目に映ったのはシミのついた天井。それは見知らぬ天井だった。彼女の黒く美しい髪は、海水を飲み、日によって乾かされたためべたついている。
 部屋は潮の香りが充満しているが、それは髪から発せられたものではなく、この家がある町が海のそばにあるからに他ならない。
「よかった、目が覚めましたか」
 ベットに横たわっている女のすぐ隣に、武器を持った男が座っていた。言葉の中身とは裏腹に目は鋭く、剣を持つ手には力がこもっている。
「あなたは、ここは……? いえ、思い出した。嵐の中、船が壊れて……」
「この町のすぐそばの浜に流れ着いたのです。強運でしたね。発見した町の子供に礼を言ってやってください」
 そのセリフに女は自嘲じみた笑いを口元に浮かべた。
「やっぱり、また生き残ったのね……」
 怪訝な表情を浮かべた男に女は言った。
「他に生きてる人は? もしかして……」
 男は静かに首を横へ振った。
「僕が浜辺に駆けつけたときには、みんな冷たくなっていました。息があったのは、あなた一人」
 重苦しい沈黙が部屋を支配した。ややあって思い出したように、ポツリと言葉がこぼれ落ちた。
「……ネズミ。私の髪の色と同じ色をしたネズミがいなかった?」
 とたん男の目から感情が消えた。いや、消したのだろう。
「ネズミさんは船の中で震えてたわ。きっとわかってたんでしょうね。船が沈むとき真っ先にネズミが逃げ出すって言うもの」
「ネズミがどうかしましたか?」
 女は目を細めた。そして昨晩のことを遠い昔を懐かしむように掘り起こす。
「私の話を聞いてもらってたの。賭けをしてたわ。もしあのネズミを生かすことができれば、私の呪いも終わらせられるんじゃないかって思った」
「殺しました」
 女の言葉はぷつりと切られた。男は震える手で、剣を握り締めていた。
「半年ほど前、病がこの町を喰らい尽くしました。大勢死んだ。みんな肌に痣が浮かんで、真っ黒になって死んでいった。その病気を運んできたのがネズミだったのです。黒い死神を連れてきたのが」
 男は沈痛な面持ちで続けた。
「もう誰も死なせたくない。私の両親、兄弟、恋人のようにはなってほしくないのです。だから、故郷を守るために殺しました。元を断ちました。やつは浜辺を必死で逃げていましたよ」
「そう、なら今度も私一人、死に損なったんだ。賭けも負けね」
 男はじろり、女を睨んだ。だが女は透けているように存在感がなかった。どんな感情をぶつけても、透けて後ろの壁にぶつかって意味を成さない。
「ごめんなさい。でも背負って生き続けるのも楽じゃないのよ」
 女の虚ろな目が窓の外をみた。隣の家の屋根には色のはげた風見鶏がカラカラと回転していた。
 嵐の余波だろうか。まだ風邪は強く、風見鶏は傷ついた体を容赦なく回転させられている。今にも壊れてしまいそうでありながら、決して止まることがない様子を女の目は捉えて離さないでいた。